管理職体験談:全く業務に付いていけずにいた私が管理職になって。そして、部下を持って。

[最終更新日]2021/09/23

体験談
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このままでは5億の赤字に。打開策も無い。一体、どうしたら…?

某電機メーカー経理財務担当です。

主な仕事は、企業で使う資金に不足が出ないように、資金の出入りの管理や資金調達の管理をしています。

この他に、事業を展開する時にどれくらい予算が必要なのか、予算の分配をどうするのか、従業員の給与の調整など行っています。

育児奮闘中の新米お父さんさん(男性 29歳)
職業
電機メーカー
職種
経理財務担当
年収
非公開
従業員規模
3,500名程度
地域
東京都

Index

目次

製造業の事業開発の次長として勤務して。

私はまあ、何と言いますか、生真面目負けず嫌いな性格です。

この性格は仕事では得してますが、家庭などプライベートでは損だなといつも思っています笑。

だって、楽できないですからね。
たまには手を抜ければと思うんですが、それが苦手で。
あ、だからと言って「仕事をバリバリこなせている」という訳ではないですよ?
──まあ、それはまた後ほど、詳しくお話するとします。

最近は、子どもが生まれ育児に奮闘中です。
子どもが大きくなったら趣味のスケボーやゲームなど一緒にやりたいなと夢見ています。
子どもが生まれてからは、妻と子どもの洋服を作ったりと、洋裁という新しい趣味を見つけました。

仕事の帰りが遅いときが多いので、平日は子どもの寝てる姿しか見ていませんが、天使のような寝顔を糧に、毎日仕事を頑張っています。

社長から、「海外展開の担当は、君に頼みたい」と言われて。

──当社の肝いりの新製品を海外に向けて展開することになった際、私は担当に指名されました。

嬉しかったですね。

当然、私にとっても初めての体験です。

(絶対に成功させるぞ…!)

と、気合いが入っていました。

事業資金の調達、分配をどうするかなど事細かに確認をし、順調に進めていくことができました。

想像以上に売り上げや受注が伸び、黒字続き。

そんな状況に私はこれで上層部からもっと認めてもらえると浮かれており、周りのことに全く目が行っていませんでした。

しかし、突然ある国の社会経済情勢が悪くなり、その国のライン工場がストップに。

受注が伸びている中、生産工場のストップは大きな痛手となり、納品が間に合わない状態になってしまいました。また、金額にして「億」単位赤字になるのではないかという状況に陥り、私はパニックになり、打開策を打つこともできずにいました。

その時に、上司が

上司

「落ちつけ。大丈夫だ。」

と声をかけてくれ、上司の指示のもと同僚も一緒になって、受注先に連絡や他の工場でストップした分を補えないかなど対応に動いてくれました。

そのおかげもあり、なんとか最小限に損害を抑えることができました。

──でも、本当に情けなかったですね。私自身が。

「いざという時」にしっかりと取り計らえるのが、管理職のあるべき姿でしょう。
ですが、私は何も出来なかったんですから。

振り返ってみて、今思うことは。

当時、受注も売り上げもうなぎ登り、黒字続きだったので安心しきっていました。

大成功だと浮かれておらず、起こりうるトラブルやリスクなどに目を向け、もしそれが起こったときにどう対応するべきかなど考えとくべきでした。

また、1番の要因は他国の社会情勢に目を向けていなかったことです。

今振り返ってみると、上司からニュースや経済新聞を毎日目を通すように、他国の社会情勢にも目を向けておくよう言われていました。

ストップした工場の社会情勢にはよく気をつけておくよう言われていましたが、私は

「大丈夫です。問題ないです。」

と流していました。

上司はこうなることを想像してたんじゃないかと思います。

ですが、トラブルが起きたときに上司は「ほれ見ろ。だから言ったじゃないか。」と軽く言っただけで、あとは的確に指示をしてくれました。

──自分のことばかり考え、周りの状況や言葉に耳を傾けていなかった自分が、今では本当に恥ずかしいです。

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管理職の毎日は、山あって、谷あって。

私はこれまで、簿記から給与計算実務能力検定、ファイナンシャルプランナーなど、経理や財務に関わる資格はほとんど取得しました。
財務に異動になった時も自信で溢れていました。

ですが、私は全く業務に付いていけずにいました。
管理職になってからも、先に述べたようなていたらくで。

まったく、自分でも情けなくなってきます苦笑。

そんな私も、後輩を持つことになって。──ここではその後輩を「K」と仮で呼びます。

「K」は、私の若かりしときよりも更に仕事が出来ず、業務からは完全に置いてけぼり状態でした。

ですがKも、まるで私の辿った軌跡を歩むかのように、危うげながらもひとつひとつ経験を積んでいき、責任ある任務を任されるようになりました。

でも、明らかに実力と任務の難易度とのバランスが悪く、「K」は更に苦悶する日々を送ることになります。

私はそんな「K」を見て、(お節介かな…?)と思いつつも、自分用に作ったマニュアルを渡したり、業務後に勉強会のようなことをしてサポートしていました。

そんな「K」と私との、二人三脚のような日が何カ月も続いたときに、「K」の携わった事業が大成功して、会社に大きな貢献をもたらしたのです。

いやあ、嬉しかったですね。
他人の成功が、こんなに嬉しく思えるものなんだな、って思いました。

そんな感慨にふけっていた時に、

K

「○○さんのおかげです。本当にありがとうございます。」

と、お礼があって。
危うく、泣きそうになるところでした笑。

仕事で、そして管理職といういわば無味乾燥に思えるような業務の中で、こんなに気持ちが高まることがあったのか。ありえたのか。──と。

こんな私でも、こうやって人や会社に貢献できるのだと、達成感を感じることができました。

これから私が目指していきたいことは。

管理職は、給料がいい、会社での立場がいいなど誰もがイメージすると思います。

確かに、給料もよく職場での立場がいいですが、その分責任やミスをしてはいけないという重圧が、すごい笑。

まあ、それがあるからこそ、管理職としての権限や待遇があるのでしょう。

 

私の目標は、「将来的に海外に駐在し、国外への事業をもっと広げる」ということです。
──我ながら、なかなか高い目標です(笑)。

そのために、英会話はもちろん、国外の社会に対しての知識や情報の入手に力を入れています。

また、世界で事業を成功させるために、今までの経験などの元に先を見通して動く力や交渉能力を今後も磨いていき、より一層企業に貢献できたらと思います。

あと、次世代を担う後輩を育てあげること。

自分の持っている知識や技術を後輩たちに繋げていけたらと考えています。

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