私の管理職体験談:本に書いてあるような、型通りのマネジメントでは通用しない。
[最終更新日]2023/10/18
ITサービス業で働く、40代男性です。
法人向けのサービスを提供しており、東京に本社を構え全国に支店をおく企業です。
私自身、2年に一度各支店への転勤になるという、やや慌ただしい人生を送っています。
家族構成は、妻と娘。2人も私の転勤に付いてきてもらっており、色々苦労を掛けています。
これまでずっと、営業職として働いてきました。
10年前から管理職になって、現在は福岡の地で九州全体の数値管理と売上アップ施策に向けて試行錯誤する毎日を送っています。
タクさん(男性 40歳)
- 職業
- ITサービス
- 職種
- 営業
- 年収
- 800万円
- 従業員規模
- 3,000人(うち部下100人)
- 地域
- 福岡県
Index
目次
営業の仕事は、私の性に合っていた。
社会人になって、かれこれ20年です。
その間、転職は一度もなし。大学卒業後から今の会社に就職し、現在まで勤続しています。
新卒当時は、零細企業・個人事業主の方々向けの業務サービスの販売を行っていました。
ノルマが課せられてたり、なかなか受注してもらえなかったり、更には業務ボリュームも多かったりと、大変な職場でした。その大変さについていけないと、同期メンバーがひとり、またひとりと辞めていきました。
私はというと、営業の仕事は性に合っていたようで、
- 私
-
「まあ、辞めるほどしんどいわけではない。」
と続けていった結果、入社4年目に「個人の部」で全国の売り上げトップとして表彰されました。
その後、上司から
- 上司
-
「課長職をやってみないか」
と言われて、飛び級で昇格しました。
当時はかなり有頂天になったものです。
そのせいか、昇格後の私から距離を置くようになった同僚もいました。
逆に、「長いものに巻かれろ」精神なのか、今までほとんど話しかけてこなかった部下が寄ってきたりもありました。
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なぜ部下は、こんな簡単なことができないのか。
管理職になって最初に難しさを感じたことが、
- 私
-
「部下がなぜ『できない』というのかが、わからない」
ということでした。
課長になって、私は5名の部下をあてがわれました。
その際上司からは、
- 上司
-
「お前がやるのではなく、今度は人を育成しながら部下を成長させるんだ。それをやれる力は十分に兼ね備えているから、イライラせず落ち着いてやるようにな」
と言われました。
(イライラなんて、するわけないだろう)と思っていましたが、かなりイライラしました苦笑。
──若干嫌味に聞こえてしまうでしょうが、「自分ならこれくらい簡単に出来る」と思えることが、部下はそれがなかなか出来ないのです。
朝に「任せたよ」と部下に笑顔で依頼して、夕方になって落ち込んだ表情で「すみません、終わりませんでした」「できませんでした」と部下が報告してくる──、そんな日を毎日のように経験しました。
部下の話を訊いていると、どうも注意すべきところがいくつもあるようで、ただそれを一つ一つ口頭で伝えてもなかなか吞み込めなさそうでした。
それで、とにかく同行営業をして「手本を見せる」のが理想と考え、毎日のように部下との同行を行いました。
──今思い返しても、この時期が一番忙しかったですね。
それから、イライラや腹立ちを抑えるのにも大分苦心しました。
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はじめての、転勤。そして、地方の営業所長。
課長職になって大分仕事に慣れてきた頃、担当部長としてとある地方営業所長を任されることになりました。
そして、この時から私の「2年ごとの転勤族」の生活が始まりました。
最初の転勤で任された営業所は大分都心から離れたところで、社員は40名ほど。営業成績はあまり芳しくありませんでした。
そこで私は、業績と併せて社員の業務姿勢を含めた全体を管理する、本格的なマネジメント業務を任されました。
営業所へ着任して初日のことです。
すぐに感じたのが、地方ならではの「ダラダラ感」でした。
とにかく、ひとつひとつの業務がゆっくりで、ちょっとした1~2か所のルート営業で、その日の業務を終わらせてしまう。タバコ休憩に席を立つと、酷いときは45分以上経っても帰ってこない。
そうしたスローライフな働き方を一変させないと、業績改善が難しいのは一目瞭然でした。
1週間様子を見て、翌週から主要メンバーを集めてさっそく改革に乗り込みましたが、皆まったく乗り気な様子ではなく、思うように進みません。
なかには、
- 部下
-
「ここは東京と違うんです。同じやり方を押し付けないでください」
と直接訴えてくる部下もいました。
さすがにムッとしましたが、相手が感情的に反対してきているときに、こちらも感情的になってしまうと収拾がつかなくなるものです(すでに、そうした経験を何度もしてきました)。
そこで、「とにかく、分かってもらうまでこちらの意見を論理的に説明しよう」と、他の優秀な地方支店の売り上げや優良事例などの資料やデータを数か月間にわたって見せ続けました。
そうしているうちに、1人、また1人と私の主張を理解してくれて。
業務姿勢も少しずつ変わってきて、最終的には営業所の半数以上のスタッフが私の掲げる業務方針に乗ってくれました。
力でねじ伏せるマネジメントは、うまく行かない。
結果として、初転勤であった地方営業所では、2年目以降に大きな売上改善(1年目から倍増!)が見られて、任された役割はなんとか遂行できたと思っています。
今の時代、力でねじ伏せるようなマネジメントには誰もついてきませんよね。
過去の実績やデータを持って説明することが大切なんだと、今回の経験で再確認できました。
私の方針に、最後まで疑問を持ちつづけた部下もいました。
その場合も強制的に従わせずに、なんども話し合いの場を設けたり、いちど当人に任せたりしました。
思うようにいかないこと、反感を貰うこと、大変なことや厄介なことがたくさんありました。
(とにかく、イライラせずに、ちゃんと向き合おう)と自分にいい聞かせて、はじめての転勤2年間を過ごしました。
この間の経験で、私は「他者を理解する難しさ」を嫌というほど理解させられました。
言葉にすると当たり前のことに聞こえますが、人は無意識に相手に対して「きっとわかってくれる」と期待するんですよね。でも、大抵は分かってもらえない。それは、私も同様です。相手のことを分かったつもりで、でもいつまで経っても分かっていない部分の方が全然多い。
大切なことは、「他人を完全に理解できることはない」という認識を持っておくこと。
そして、そのうえで「あきらめずに、少しずつ理解していこう」と行動し続けることでしょう。人は、自分のことを理解しようとしてくれる人には、段々と信頼感を持つものです。
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部下を、知ること。
管理職・マネージャー業務をおこなうにあたりもっとも大事なことは、部下を知ること。
この一言に尽きると思います。
皆、考え方が違う。価値観が違う。
はじめのうちから「自分の期待するとおりに活躍してくれる」人は、レアケースです。
相手が何を望んでいて、自分と違うところはどこなのかをまず見極めること。
それができると、自然とチーム・部署のパフォーマンスは上がっていくと思います。
具体的なやり方としては、個人面談などの一対一のコミュニケーションも当然必要ですが、それ以外にも「全体的な観点」を意識することも大切です。
例えば、今の若者の時代的な考え方の潮流や傾向を知ること。
一回目の転勤で私が体験した、「その地域ならではの価値観や文化」もそうでしょう。
それから、これまでは「男社会」の職場が多かったですがこの先は一変するでしょうね。職場で活躍する女性は今後どんどん増えていくと思います。
そうした様々な観点から垣間見える全体的な流れ・傾向に敏感になることが、管理職、マネージャーは必要だと思います。
本に書いてあるような、型通りのマネジメントでは通用しない。──私は、そう思います。
私の会社も、今後さらに社員増えるそうです。
私自身が陳腐化しないように、引き続き全体像の見える幅広いマネジメントを目指していきたいと思います。