私の管理職体験談:仕事において感じる、「私」と「他人」のギャップ

[最終更新日]2019/11/14

体験談
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仕事において感じる、「私」と「他人」のギャップ

最近働いていて思うことは、「仕事で、ホントウのことを話し合える機会はとても少ない」ということですね。

──とは言っても、部下や同僚がウソを付いている、という訳ではなくて、本人も無意識に真実や本音を隠してしまっているような気がします。

彼らはきっと、リスクを恐れているのでしょうね。
こう言ったらきっとこう思われる、こう評価される、であったり。

そして考えた末に話してくる言葉は、なんとも表面的で、そこからの想いや熱意が一切見えてこない。

たまに、寂しい気持ちにもなりますが。

サムエルさんさん(男性 55歳)
職業
販売員 管理職
職種
サービス業
年収
600万円
従業員規模
500人
地域
埼玉県

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目次

私の紹介。──もともと、付き合いやコミュニケーションは苦手。

人付き合いが苦手な私が管理職になり…

ちょっと前まで私は平社員でした。
50代になってから管理職になって。まあ普通に考えると、随分と「遅咲き」ですよね。

当時行っていた業務は、主に販売商品のマニュアル作成。こういう地道な作業はなんとなく私の性分に合っていて、特に不満も不自由もなく、長年やってきました。



管理職になってからは、マニュアル作成の仕事は部下の方に渡り、私は部下への業務指示やチームの販売企画を考える仕事になって。
自ずと部下への指示出しやコミュニケーションの機会が増えていきました。

そもそも、私は他の人と関係性を築いていくとか、そういうのが苦手な性質でして。

休日も趣味といえば映画を観ることくらい。でも、最近は映画館に行くのも、レンタルビデオショップに行くのも、なんとなくおっくうになってきていまして、家でぼーっとすることが多くなりました。

「毎日、あなたの悪口を言ってますよ」

陰口を叩く部下について告げ口されて…

朝のミーティングで一日の予定を確認し合う場では、皆が自分から今日やるべき業務を伝えてきてくれます。ただ、その内容が甘いんですよね。

1時間で終わる業務を、平気で3時間と言ってくる。
今やらなくても良いような仕事を、一日の大半をかけてやろうとする。

その度に私はこんこんと説明しました。「それに3日以上もかけるなんて、どうかしてるぞ」と。「今その業務をやる前に、こっちだろ」と。

で、何度言ってもなおらない部下がいて(以後、「A」と呼びます)、私は諦めずにAに指導をし続けました。

「指導」と言いましたが、Aからはそう映ってなかったのでしょう。

あるとき、他部署の管理職員からこう言われたのです。

管理職員

「Aさんが、毎日のようにあなたの悪口を言ってるらしいですよ」

「え・・・、どんなことを言ってるんですか?」

管理職員

「さあ・・・詳しくは分かりませんが、よかったら私、訊いてみましょうか」

管理職員さんは少し興奮気味になりながらそう提案してくれましたが、私はその申し出を断りました。
なんとなく、嫌だったんですよね。そうやって裏でこそこそすることが。



──ただ、その話を聴いてから、私はAに対して強く注意することを辞めてしまいました。

どうせ、わかってくれないだろうから」そういった気持ちが芽生えて、そしてその気持ちが大きくなっていってしまったのです。

一方で、少し距離をおくことによってAは冷静になって私への反骨心も薄れてくるのでは、という期待もありました。

ですが、事態はそううまく進まず、Aの業務態度は変わらずのままで、そして私との関係性はどんどん冷え込んでいきました。



あるとき、出社の途中に会社近くのコンビニで、視界にさっと動く影が見えて。
その正体は、Aでした。私と鉢合わせになることを恐れて、身を隠したのでしょう。・・・私も私で、Aに気付かないふりをして会計を済ませ、店を出ました。

当時の出来事を振り返って、今思うことは。

ビジネスライクに振舞えず…

正直に言いますと、許せない気持ちがあったんですよね。

私のことを裏で陰口を言い続けたAに対して。それから、それを安っぽい正義感で伝えてきた管理職員に対しても。



「許せない」といっても、別に何か罰を与えようとか、そういうことを思っているわけではありません。
ただ、彼らを前にしたときに、私の感情が曇りだし、そして様々な思考にブレーキがかかるんです。



もちろん、それはすべて私的な感情ですので、仕事で出すべきではありません。

でもね、私はそういう風にビジネスライクに振舞うのがとても苦手でして。

やっぱり、相手は人ですから。そして、人と人のやりとりにおいて感情抜きで進めていくことが、どうしてもうまく出来ないのです。

しょせん、私は私で、他人は他人。

私は私で、他人は他人

言葉は、その人の想いと完全に合致するのではなく、ギャップがあるものです。

「あなたのことが好きです」という言葉は、たとえそれが本心から来ていたとしても、必ず、その言葉以外の感情もある。そういうものですよね。



そして、仕事で話されている言葉には、このギャップがとても大きい。そう感じるんですよね。
ときに真逆の意味が含まれていたり、ときにとても表面的なコミュニケーションになったり。

私自身もそうです。普段部下たちに投げかける言葉には、必ず「含み」を持たせてしまっている。意識的にすることもあるし、無意識でそうなってしまうこともあります。



それが最近まで、とてもしんどく感じていました。

ですが、最近は少しだけ、吹っ切れてきています。

だって、それを気にしていても、ちっとも前に進めませんから。



しょせん、私は私で、他人は他人。
違う人間同士で当然ギャップは存在するわけで、それを無理に埋めようとするのではなく、そのギャップを「意識しすぎずに意識しておく」くらいの塩梅でいるのがちょうど良いのでしょう。

私が今、意識していること。これから目指していきたいこと。

陰口を言った部下を許せなかった理由

先に「吹っ切れた」とお話しましたが、それにはちょっとした経緯があって。

プライベートの友人に仕事の愚痴をしていたとき、彼からこう言われたんですよね。

友人

「お前は、他人に期待しすぎてるんだよ。俺なんか、とっくに諦めてるから、楽なもんさ」

なるほどなあ、と思いました。

Aや管理職員のことを「許せない」と言いましたが、それは裏を返せば、私はAや管理職員に対して何かしら期待しているから、そう思ってしまうということなのでしょう。

そうして考えを煮詰めていくと、二人に対して、私の中の感情で「親しみ」と「憎しみ」が同居していることに気付いたのです。

この相反するふたつはまさに「アンビバレンツ(※)」なもので、切り離せない同一性がある。

※アンビバレンツとは

ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すこと。ドイツ語のアンビヴァレンツ(ambivalenz)に由来する。「両価感情」や「両面価値」、「両価性」などとも翻訳される。

Wikipediaより抜粋

飛躍するかもしれませんが、これってまさに人生そのものであるような気がします。

私にとって人生とは、ときに眩しいくらいに愛おしく、そしてときに悶絶するほどの苦しさがある。それがセットになっている、そんなイメージです。

職場で触れ合う人たちとも、そういうものなのでしょう。

そう考えると、なんだか「あんなこと言われた」「こんなこと言われた」とか気にしているのも馬鹿馬鹿しいなと思ってきたんです。



「意識しすぎずに意識しておく」くらいの塩梅で。──そして、目の前の仕事をコツコツと続けていく。 そんなスタイルで、今もなお、管理職として働き続けています。



もう年齢も年齢なので、もっと年収を上げたいとか偉くなりたいとか、そういうのはあまりないですね。
ただただ、関わる同僚や部下と大きな摩擦なく、もちろん皆の成長や仕事の成果も気にしつつ、あとは日々ちょっとした幸せを感じながら、生きていければと思っています。