管理職体験談:奇しくも「嫌われ管理職」になり落ち込んでいた私にくれた言葉。
[最終更新日]2022/12/15
愛知県は車関係の仕事が多い地域です。
その中で私の勤める会社は、社員規模20人前後で、主に車のプレス金型を作って上場企業に納品しています。
20人規模でこの製造をこなせている町工場は少ないらしく、納品先の大手企業様からお褒めの言葉を頂くことも多いみたいです。
いろいろおじさん(男性 51歳)
- 職業
- 自動車部品工場
- 職種
- 製造業
- 年収
- 350万円
- 従業員規模
- 20人
- 地域
- 愛知県
Index
目次
慎ましく、心穏やかな暮らし。
そのような評価は、ひとえに同族会社における創業者の3人の息子らによるところが大きいのです。
2代目の社長は名門大学卒出で、元M重工に勤めていたらしいのです。
父親の急死で、個人経営の小さな工場を助けるように家業を継いだ形です。
一つ上の長男も同じ大学を卒業し、現在は会長職、三男は専務です。
そんな中私は6年前に入社し、現在はマネージャーを務めています。
小さな会社ですが、マシンオペレーター、つまり加工の機械を操作する仕事にやりがいを持って行っています。
共稼ぎで、子供の居ない私たち夫婦は、私の年収(約350万円)でも、不自由はしていません。
管理職になって、変わってきたこと。
割と気楽に仕事を続けていました。
油にまみれ、夏は熱く、冬は寒い体力的にキツイ仕事ですが、
そんな業務を、私は機械の自動化に尽力し、工場の機械化のレベルを高め、生産性の飛躍に尽力しました。
具体的には、夜間は止まっていた機械を朝まで稼働させるようにしたのが大きかったです。
今までしたくても出来なかった加工方法で、新たな受注先を広げることに成功したのです。
そんな頑張りを認められ、いつしか過酷な現場作業からデスクでの管理業務を与えられ、クレバーな業務へと変わっていきました。
入れ替わりの激しい町工場ですが、気付くと私も古株で、全社員の中でも会長と同じ歳になっていました。
そうなると、管理職的な仕事も自ずと増えてきました。
高校上がりのやんちゃな若者が多いですから、彼らの管理はなかなか骨の折れる仕事です。
今までともに現場で働いていた仲間が、部下になって。
今まで、愚痴を言い合っていた現場仲間の尻を叩くのが、今の私の仕事になっています。
管理職としては、日々苦労が耐えません。
あるとき、こんな事がありました。
Tさんという、昔カタギの短気な職人さんが職場にいるのですが、これがまた厄介な人で。
現場で一緒に作業してる時は、それなりに楽しくやれていました。
Tさんは、仕事ぶりはホントに真面目なのです。
機械へのセットは手作業ですが、金属にドリルで穴を空けるのは、コンピューターによる自動加工です。
失敗も成功もプログラミングに左右されますが、このプログラミングを今までは会長と専務が作っていました。
正直これが、「たまに」とは言い切れないくらい頻繁に、このプログラミングが誤作動を起こすんですね。
そのため、新しいプログラミングを、私が引き継ぐかたちとなり、Tさんは私の直の部下になりました。
これまでは2人して、
- 私
-
「まったく、会長も専務もミスが多くて困っちゃうねー」
などと愚痴を言いながら楽しく仕事ができていたのですが、
これからはそうも言っていられません。
実際、機械のプログラミングを担当してみると、その作業の繊細さに度肝を抜かれました。
私も同じくらい、ミスを繰り返していました。いやぁ、面目ない……。
Tさんもはじめのうちは
- Tさん
-
「まったく、困っちゃうな」
なんて笑い飛ばしてくれていたんですけど、それも二回・三回とつづくうちに遂におかんむり。
- Tさん
-
「なんだよ、もうやってられねぇよ!」
今までは会長と専務相手だから言えなかったことが、私には言えてしまうんですね。
そう怒鳴り散らすと、Tさんは職場をボイコットし、作業が丸一日止まってしまったのです。
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「もうだめだ」と思ったとき。
Tさんは、年齢は私よりも下ですが、入社は私よりも先です。
Tさんはどうしても、新参者の私に仕事を管理されるのが面白くなかったようです。
仕事を評価はしてくれましたが・・・。
その他の若い部下は可愛いものでしたが、Tさんだけは何かと反抗してくるようになりました。
発言力の高いTさんですから、直接的にではありませんが、
日に日に他の部下にも、私への不満が伝播していったような雰囲気を、ちょっとずつ感じるようになりました。
それでも私は管理職ですから、遅刻は注意し、仕事のミスはしっかり叱らなければなりません。
私は次第に、職場の人間関係に疲れていきました。
もう無理かもと、会長に相談した時、会長が言ったのです。
- 会長
-
「あなたが、この会社の最後の砦です。いっしょに頑張りましょう」
素直に嬉しかったです。
私は、会社がどんなに優秀でも、一社員の影響はたかが知れてるという、悲しい現実も理解しています。
しかし、会長から直に「最後の砦」と言われたひと言が、大きな心の支えとなりました。
管理職・マネージャーとして、「これから目指したいこと」は。
経営層3人兄弟はほぼ365日休まず働いています。
そんな姿を見ていると、小さくても町工場をやりくりする大変さを、同世代の私も感じずにはいられません。
しかし、働き方改革などで行政の指導が厳しく、管理職とは言え労働時間は守らなくてはなりません。
もう私は、時間を気にせず仕事に没頭する立場ではないのです。
労働時間の管理、これが今一番大きな壁となっています。
基本給の低い町工場ですから、内心はみんな、残業代を当てにしているのです。
そんな中、定時になると作業を止めるよう、部下に指導しなければいけないのは、今までにない私の悩みです。
今の時代を逆行するような会社ですよね。それも分かります。
会長が言ってくださった「あなたが、この会社の最後の砦です」。
この言葉を胸に秘めながら、これからも、嫌われ管理職でもいいから、がんばっています。
将来的には工場が大きくなり、100人企業になれるように、
部下と協力しつつ、効率的かつ高生産な職場を目指していきます。
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