あなたは部下を「期待している」?それとも「信じている」? 期待することと信じることの違いとは

[最終更新日]2019/09/27

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「期待する」「信じる」その違い

管理職の皆さん、こんな経験はありませんか?

「すごく期待していた部下が、突然辞めてしまった」
「ずっと期待して信頼していたのに、結果を出せなかった部下がいる」

管理職として、部下の成長をのぞみ期待を寄せるのは悪いことではないように思えます。成長して欲しいと思うからこそ厳しく指導することもあれば、期待しているからこそ仕事ぶりを気に掛けたりするからです。

では、もう1つ質問をします。
——皆さんは、部下を「信じて」いますか?

期待しているのだから当然信じているだろう・・・、反射的にそう思いませんでしたか?
部下に期待を寄せることと、部下を信じているということは本当に同じことなのでしょうか。期待することと信じることの違いについて、上司という部下という切り口から考えてみましょう。



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目次

「部下に期待しているのに…」と不満に思った時に、注意したいことは。

不満を募らせる前に確認しておきたい「なぜ?」とは

部下が期待通りに動いてくれない、期待していたほどの成果をあげてくれない・・・。そんなとき、上司であるあなたには「不満」を覚えることでしょう。具体的には、次のような感情を抱くかもしれません。

  • なぜ教えた通りにやらないのだろう?
  • なぜ以前のアドバイスに従わないのだろう?
  • なぜ徹底的にこだわり抜かないのだろう?

こうした「なぜ」の根本にあるのは、果たして「成長した部下の姿」でしょうか。

仮に部下の期待値が高く、その期待通りに成長した姿をゴールとして指導を続けてきたとします。このとき部下に関して「理想としている将来像」とは、誰が作り上げたものでしょうか?

そうなのです。よく考えてみると、そもそも「この人はこうなっていくべきだ」と理想像を思い描いていたのは上司の側です。部下の立場からすれば、「一方的に期待されて一方的に不満を持たれた」ということかもしれないのです。




その「期待」は誰が誰のために抱いたものかを突き詰めると・・・

上司から部下への期待≒部下自身の将来

では、なぜ部下の将来にそのような理想像を見ていたのか——。

それは、上司にとって「思い通りに成長してくれる部下」の像が先にできあがっていたからです。
部下の能力や性格を見抜いていたようでいて、実は理解しきれていなかった部分も少なからずあったにも関わらず、「できるはずだ」と決め込んでいたところがあったのではないでしょうか。

このことは、恋人や夫婦の関係に置き換えるとより鮮明になります。

お見合い結婚の夫婦は恋愛結婚の夫婦に比べて離婚率が低いと言われています。
これはとても興味深い現象です。なぜなら、相手のことをよく理解した上で結婚したはずのカップルよりも、お見合いの席で顔を合わせるまで赤の他人だったカップルのほうが長続きすることを意味しているからです。

恋愛結婚のカップルの多くは相手に対する期待が強く「こうあって欲しい」「こういう人のはずだ」といった理想を高いレベルで持っていることが少なくありません。

一方、お見合いの場合は結婚生活の中で相手のことを理解していくため、初めからハードルを高く設定しにくいのです。

夫婦におけるパートナー、あるいは仕事におけるパートナーである部下に対して「期待」を寄せるということは、実は「こうあってもらいたい」という理想像を自分で作り上げ、その通りに実現してほしい、相手が期待通りに動いてほしい、と願っているのと同じような状態なのです




部下はあなたの所有物ではない

部下に期待を寄せるのは、一見すると相手のことを高く評価し認めているように思えます。

ところが、ひとたび見方を変えると、相手が自分の意のままに動き、期待通りの成果をあげてくれるという「未来像」を一方的に押し付けている、という捉え方もできるのです。
これでは、まるで部下を自分の所有物のように扱っているのと同じようなものです。

当たり前のことですが、部下は一人の人間であって上司の所有物ではありません。

思い通りにコントロールできないことがあって当然です。期待に沿うことばかり、というわけにはいかないでしょう。まずは「部下は上司の思い通りにならない」ということを前提に考えていく必要があるのです。

「期待する」と「信じる」は違う

期待と信頼の混同が悲劇を招く

期待と信頼の混同が悲劇を生む。

「かわいさ余って憎さ百倍」ということわざがあります。

親子や恋人といった間柄で起きた凄惨な事件が報じられることがありますが、人間の感情はとても複雑なものであり、一度もつれてしまうと止めどなくネガティブな方向へと突き進んでしまうこともあるのです。

部下に対する期待が大きければ大きいほど、その期待が満たされなかったときのショックは大きいはずです。とくに、部下の能力を高く評価していた場合などは「手を抜いたのではないか」「怠けていたに違いない」などと、必要以上に悪く捉えてしまいがちです。

では、ここで冒頭の質問に立ち返ってみましょう。期待していたのに成果をあげられなかった部下のことを、上司は「信頼」していたのでしょうか——。

もし「信頼」していたのなら、「手を抜いていた」「怠けていた」などという疑念が生じることはないでしょう。期待が裏切られたという感情こそが、上司の部下に対する「信頼の喪失」に他ならないからです。

このように、期待と信頼を混同することはネガティブな感情を呼び起こしますので、部下との関係が修復不可能なところまで険悪になることも考えられるのです。




プルチックの感情の輪から読み解く「期待」と「信頼」

心理学者ロバート・プルチックは、1980年に人間の感情を体系的に分類した「感情の輪」を提唱しました。感情の輪を表しているのが下の図です。

感情の輪

https://ja.wikipedia.org/wiki/感情の一覧

外側に配置された「喜び」や「不安」などは原始的な感情とされ、「基本感情」と呼ばれます。感情同士の距離が遠いものほど異質な感情とされ、円の中心に近づくほど強い感情として位置づけられています。

ここで注目していただきたいのが「期待」と「信頼」です。見つけられましたか?この図では、信頼は緑色、期待はオレンジ色の領域にあることが確認できます。

プルチックによれば、期待は「優位」や「攻撃性」に近い領域に生まれる感情であり、信頼は「愛」や「喜び」に近い領域で生じやすい感情なのです。

さらに、「期待」の外側に「誇り」がある一方で、中心に近づくにつれて「警戒」へと変わっています。これに対して、「信頼」は内側へと近づくにつれて「感嘆」へと変化していることが分かります。

この分析からも、期待と信頼は相反するとまではいかないにしても、決して同質の感情ではないことが見て取れます。そして、信頼が相手を受け入れることから始まるのに対して、期待は「自分自身の」興味に端を発していることが読み取れるのです。

ときには「あきらめる(手放す)」ことの重要さを知る

過度な期待を背負うことで部下が感じる重圧

ここで、期待を寄せられる心境を部下の立場から考えてみましょう。「君には期待しているよ!」と上司から言われた部下は、どのような心境になるのでしょうか。

「期待している」という言葉には、「結果に」期待しているという意味が含まれています。つまり、今の部下自身の状態ではなく、近い未来に部下が残すであろう結果に対して期待を寄せているのです。

そのため、部下にとっては期待されることは「強制的に結果にコミットさせられてしまう」ことを意味しています。上司からの期待が大きければ大きいほど求められる結果は大きくなり、今現在の部下が背負う重圧も大きくなっていきます。

それに対して「信頼している」という上司の態度や言葉は、今現在の部下に焦点が当てられています。

もしかしたら部下は近い将来、失敗することがあるかもしれません。

思うように結果が出ない時期があるかもしれません。

それでも、「自分という人間を信頼してくれている」という感覚は、部下に思う存分力を発揮するための良い意味での安心感となり得るでしょう。「期待している、だから結果を出すべきだ」という威圧的な「期待」とは対象的です。




部下は自立した人間であり、「課題の分離」を意識する必要がある

課題の分離

部下につい期待を寄せてしまう上司は、多くの場合とても「熱心」なのです。熱心だからこそ、部下の弱いところを補ってあげたいとか、早く独り立ちさせたいといった思いが先に立ってしまいがちです。

アドラー心理学に「課題の分離」という考え方があります。

人は個々人が独立した存在ですので、自身と他者が抱えている問題は根本的に別のものであり、人が人を変えたりコントロールしたりすることなど不可能なのです。

上司と部下においても同様で、部下が抱えている仕事上の課題や克服していくべき弱点は「部下自身の問題」であって、本来であれば上司であろうとも介在できないはずのことです。

もちろん、上司のアドバイスや指導が、部下にとって課題を解決するための有益なヒントとなる可能性はあります。

しかし、最終的に課題を乗り越えるのは部下自身であり、上司が部下の代わりに課題を解決してあげることはできないのです。

このように、部下は自立した一人の人間であり、上司とは別の人間であるという根本に立ち返って「課題の分離」を意識する必要があります。




諦め切れない執念が「執着」にならないよう注意

行きすぎた部下への指導がパワーハラスメントとして問題視されるケースが見られることがあります。

もちろん、中にはそもそも部下への接し方そのものに重大な問題があることも少なくありませんが、場合によっては部下を熱心に厳しく指導していたつもりが部下に苦痛を与えていた、といったこともあるでしょう。

部下がアドバイスを消化して自分のものにし、実践してくれるタイミングが訪れると信じることも大切です。
そのためには、語弊はあるものの部下を「変える」ことをあきらめる(手放す)覚悟が必要なこともあるでしょう。

諦め切れずに思い通りに部下を操ろうとし始めると、「部下をコントロールする」ことそのものに執着してしまいかねません。
その結果、パワーハラスメントなど部下に心理的なダメージを負わせてしまうことがあるのです。

部下のことを「手放す」のは、上司として無責任のような、冷たいような気がするかもしれません。

しかし、結果的に部下が自分で弱みを克服し成長していくしかありません。覚悟を決めて「あきらめる」「手放す」タイミングがどこかの段階で必要になることは、頭の片隅に置いておきたいものです。

私の事例:今思えば、部下の常識的な強さに支えられていました

部下は上司が思うよりずっと大人な場合もある

このような記事を書いていながら、筆者自身は部下に「期待する」タイプの管理職でした。

部下が自部署に配属された当初から「この人は生真面目なタイプのようだから、ミスなく慎重に仕事をしてくれるだろう」などと勝手な印象で「期待」を寄せてしまっていたのです。

あるとき、新卒の女性社員が部下についたことがありました。慣れない職場に緊張していたのか、たどたどしく話す様子を見て、私は例に漏れず「対外的な仕事にはあまり向かないかもしれない」などと勝手に解釈していました。

あるとき、彼女が担当していた取引先のミスが続き、あまりにひどい状況だったので苦言を呈するよう彼女に指示したことがありました。

「こんなことでは困る、と強く言うことも必要だよ」と伝えたのですが、今振り返るとそのときの私はかなり感情的になっていたと思います。

彼女はすぐに電話をかけませんでした。「一体何をしているんだろう?早く文句を言ったらいいのに」と、私は苛立っていました。20分ほど経った頃でしょうか、彼女はその取引先に電話をかけ、非常に冷静な口調で「こちらは何に困っているのか」「以降どうしてもらいたいのか」を理路整然と伝えていたのです。

おそらく、彼女は私が感情的になっていることも、少し時間をおいて冷静になったほうが良いことも、見抜いていたのだと思います。私よりもずっと年下とはいえ、こういった常識的な強さを持っていることに私は感服していました。

その後も、若い部下の常識的な強さに支えられ、稚拙な自分を内心恥じていることがあります。部下は上司が思っているよりもずっと大人のこともあるのです。

この経験がきっかけとなって、私が手前勝手な「期待」をするよりも、部下を信じて見守るほうが、かえって成長を促すのかもしれないと考えるようになりました。

まとめ)「信じて待つ」ができる上司を目指しましょう

部下に対して期待を寄せたことがある人は、ぜひ振り返ってみてください。全てが期待を上回っていたことよりも、期待が裏切られて失望したことのほうが記憶に鮮明に残っていないでしょうか?

裏切られたという思いのほうが強く残っているとすれば、それは「あんなに期待していたのに」というご自身の感情に対する思いから来ているのかもしれません。

部下は思い通りに育っていかないものですし、上司がかけてきた期待がそもそも方向性として正しかったのかどうかも確かめようがありません。部下にとってはプレッシャーを与えてばかりの上司だったかもしれないのです。

部下が近い将来あげるであろう成果に期待を寄せるばかりではなく、今現在の部下を信じて成長を待つことができる上司でありたいものです。