私の管理職体験談:部下が管理職になろうとしたとき、はじめて「管理職の役割」と「働くこと」について考えた

[最終更新日]2020/05/13

体験談
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部下が管理職になろうとしたとき、はじめて「管理職の役割」と「働くこと」について考えた

「管理職って、何のために仕事をするんですか?」

32歳で今の会社に転職して、Webサービスのディレクションを行っていました。
その一年後、管理職への辞令と併せてスマホゲーム開発部署に異動となりました。

異動先の部署は、胃が痛くなるくらいの赤字部署。
在籍する約20名のスタッフは、みんな私より歳下でした。

役員である上司はかなりパワハラ的で、感情の起伏の厳しい人で。
毎週、私は売り上げの進捗と開発の進捗について詰められ、プレッシャーをかけられて、なんとかしようと、スタッフ総出で毎日終電まで働いて、それでも追いつかなくて週に2~3回会社に泊まりがけで働いても「焼け石に水」状態。

そのうち、私自身も上司と同じように怒りっぽくなって、スタッフにきつくあたるようになってしまいました。

言い訳ですが、余裕が無かったんですよね。

休日も含めて毎日24時間、常に売上と開発進捗のことばかり考えていました。

今考えるととても不思議です。
何故私は、ここまで仕事のことばかり考えていたんだろうと。

そこまで会社にコミットせずに、もっと自分のことや家族のこと、友人たちのことを考えて過ごしても良かったのに。

どう見ても幸せな生き方じゃないのに、理由もなく頑張って、そしてすさんでいって、そんな期間が約1年続きました。

こんぼいさん(男性 38歳)
職業
スマホゲーム開発
職種
プロデューサー
年収
非公開
従業員規模
120名
地域
千葉県

Index

目次

1年経って、「売れず当たらず」の状態からようやく脱出して

幸運な出来事が重なり赤字から脱することができた

その後、たまたま「幸運な出来事」が重なって、私の部署は1年続いた赤字状態からようやく脱することができました。

幸運な出来事とは、大きく2つです。
ひとつは、パートナー企業の担当の方(Aさん)が、私の状況を案じて多大な協力をしてくれたこと。

Aさん

「〇〇さん、今のままじゃ絶対変わりません。やり方を変えないと」

最初はAさんの提案に半信半疑の私でしたが、どうせこのままやっても変わらないというのはたしかだろうと、彼のいうとおりにやってみたら、非常にうまくいって。

ただ、Aさんの要求ハードルはとても高く、私のスキルとセンスではとても叶えられそうにありませんでした。──そして、そのハードルに応えられる人がスタッフ内にいたというのが、2つ目の理由です。私の部下のBでした。

Bは私よりも10歳年下でしたが、インターネットサービスに非常に詳しく、更にはアイデア力も企画力もずば抜けて高くて、部署のエース的な存在でした。

Aさんとの打ち合わせにBを参加させたところ、BはするするとAさんの提案を吸収して、自サービスに取り入れてくれたのです。その後、Bがリリースしたサービスは1ヶ月目で売上600万円を達成し、2ヶ月目は4,000万円まで売上を伸ばしました。

1年間で私の部署は累計で2億円ほどの赤字を出しましたが、そのヒットサービスのおかげで数か月で回収して、安定的な黒字部署に転換できたのです。

とても幸運でしたが、それまでは今振り返っても非常につらい1年間でしたね。

この間、新たに採用したスタッフは40名ほどですが、それと同じくらいの数のスタッフが1年間のうちに退職しました。そりゃそうですよね、残業ばかりの、もう完全にブラックな職場でしたから。

そうそう、この1年の間に私の上司は株主からパワハラの疑いをかけられて退職しました。
まあ、疑いではなく事実であったんですが。

私自身も、少なくない部下から恨まれました。 誰だって、自分の生活まで圧迫するくらいの仕事とそのストレスを与えられたら、相手のことを嫌いになりますよね。

それでもBをはじめ何人かの部下は残ってくれて、一緒に頑張ってくれました。 ダメダメな上司であった私に対して、本当によく見限らずに付き合ってくれたなと思います。

これまでとうって変わって、イケイケムードになって。

お荷物部署から花形へ

それから、私たちの部署は続けてヒットサービスをリリースしていきました。

なにごとも、一番大変なのはゼロから1を創るときなんですよね。
1から2、3、4としていくのは、それと比べれば大分楽なものです。

少し前は、「会社のお荷物部署」として扱われていた私たちですが、いつの間にか「花形」として扱われるようになって。

スタッフにも余裕が出てきて、フロアの雰囲気も大分明るくなりました。

そのうち人数も増えていき70名ほどの大所帯の部署になったとき、代表から役員昇格の打診と、併せて部署内に新たに管理職を置いてみてはと提案されました。

それまで、部署内で管理職以上のポストにいたのは私だけでした。
たしかに、これから先体制を強固にしていく為には管理職スタッフを増やすべきだろうと思い、私は早速適任者について検討を始めました。

適任者はすぐに思い当たりました。
最初のヒットサービスのメインプランナーとして活躍した、Bです。

私はさっそくBを呼んで、「あなたを管理職に任命したい」と伝えました。

「管理職は、何のためにあるのか」

部下からの意外な質問に考えさせられた

管理職への打診に対して、Bはしばらくの間考え込むような表情をして、「1日考えさせてほしい」と私に言ってきました。

私は少し驚きながら(昇進話は誰もが喜ぶものだと思っていたので)、それでも翌日になったら快諾の返事をくれるだろうと思っていました。

ところが、Bは次の日になって、私にこう言ってきたのです。

B

「自分は、管理職が何のためにあるのか、何を求められているのかわからない。わからないうちは、管理職になることはできない」

びっくりしましたね。そういう風に考える人がいるんだな、と。
同時に、このときはじめて私はBに対して「敵わないな」という感情を抱きました。

なぜなら、私はそんなこと考えたこともなかったからです。
人は会社に勤めて、年月の経過とともに昇進や昇格をしていくものだと、単純に考えていたので。

また、とても恥ずかしい気持ちになりました。
私自身、これまで管理職として何を考えて働いてきたのか。単に売上や開発進捗だけを考えて、それ以上のことをほとんど考えずにここまで来てしまったのではないか──と。

それから、私は数日かけてBを口説き続けました。

いつの間にか、私は「今の部署を継続していく為には、Bに管理職になってもらう必要がある」と考えるようになっていたのです。

それから数年が経って。

数年後、部下の育成を手掛けるなかで痛感したこととは

Bが管理職になって、それから数年が経ちました。

部署は今では100名を超える規模になり、新しい顔も大分増えました。
課題や悩みごとは尽きませんが、それでも組織として大分安定してきたと感じています。

私も以前のような「毎日終電まで残業」といった働き方はせずに、週の半分は定時で帰宅できるようになりました。──もちろん、他のスタッフたちも同様です。

管理職スタッフも増え、Bのほかに4人の管理職が自分たちの小部署をもって活動するようになって。

また、私の仕事内容は現場業務から離れ、部署・チームの構成や人員の育成・評価に多くの時間をかけるようになりました。

部下への育成業務を手掛けていくなか、私自身がいかに「これまで何も考えずに働いてきたのか」を痛感しました。

私のこれまでの働き方は、「こうありたい」といったビジョンがなかったんです。

典型的なサラリーマン気質というか、なんなんでしょうね。
「それが普通だから」的な考えで、何の疑問も持たず、ただただ愚直に目の前の業務をし続ける働きアリみたいな仕事の仕方。

40間近になって、自分の器の小ささというか、視野の狭さを目の当たりにして、なんとも歯がゆいきもちがあって、でも少しだけ、そのことに気付けてほっとした気分もあります。

管理職について。働くことについて。

「管理職は、組織と人を繋げるものである」という言葉を体感できた今思うこと

管理職とは、どんな役割で、どんなことが求められるのか。

管理職は、組織と人を繋げるものである」──というのは、とある人材開発のテキストに書かれていた内容です。

非常にシンプルで、管理職の存在意義をうまく言い表していると思います。

ですが、このシンプルなことばを「意味あるもの」として体感する為には、実際に管理職として経験することが絶対的に必要でしょう。つまり、言葉では言い表せない何かがある。

自分を良く言うつもりはありませんが、管理職として「組織と人を繋げる」こと自体は私自身できていたと思います(そんな意識はほとんどありませんでしたが、結果論として)。

ただし、私のやりかたは、あまり楽しい繋げ方ではなかった。
もっとワクワクするような、これから先の展開が楽しみになるような、そういう繋げ方もあるんでしょう。

その「繋げ方」はきっと無数のパターンがあって、それを考え続けることが管理職の役割なのかもしれません。

また、管理職に限らず「働く」ということは、突き詰めると「現状から変化させること」と言い表せるのではないでしょうか。

その変化は、私たちにとって「目指したい・実現したい」変化なのか──。
そのことにしっかり向き合っていける(意識しながら働けている)ことが、きっと幸せな働き方なのだろうと、今はそう思っています。

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