「私は誠実だ」という人ほど、誠実ではない?「誠実さ」の本当の意味は?

[最終更新日]2020/08/05

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「誠実さ」の本当の意味とは。

日々仕事をしていると、ときおり「誠実」という言葉に遭遇することがあります。

あの人はすごく誠実な人だよ
自分の仕事に対して誠実であるべきだ

ともすると聞き流してしまいそうな「誠実」という言葉。日常の中で「誠実」という言葉を何気なく使っている人も多いのではないでしょうか。

しかし、考えてみれば「誠実」とはどんな性質を指しているのか、きわめて曖昧で捉えどころのない概念です。もしかすると、「あの人は誠実だ」と決めつけてしまうこと自体、先入観にもとづく決めつけに過ぎないのかもしれません。

今回は「誠実」とはどんな意味で使われるはずの言葉なのか、先人たちの見解参照しつつ、いちど立ち止まって考えてみましょう。

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目次

「誠実」ってそもそもどんな意味?

「誠実」について考える前に、まずは誠実の本来の意味を確認しておきます。

誠実:私利私欲を交えず、真心をもって人や物事に対すること。

“誠実
私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。“
(デジタル大辞泉より)

他者や物事に接するとき、自身の私利私欲にもとづいて損得を優先させる思考や行動は「誠実」とは言えない、と一般的には考えられています。

「真心」という言葉が用いられているように、偽りのない本心で人や物事に接し、自身の損得を超えた判断ができること、相手や周囲の状況を優先して考えられること——。これが一般的な意味での「誠実」にあたると言えるでしょう。




一方で、「誠実な人」へのイメージは多様で、かつ曖昧性がある

一方、周りの人に「誠実な人のイメージはどんなものか?」について聞くと、実に多様な解答が返ってきます。

「まじめに仕事に取り組む人」「相手を傷つけないように気遣いをする人」「時間や約束を守る人」「相談に乗ってくれる人」、それから「無駄遣いをしない人」といった点を挙げた人もいました。

このように「誠実」という言葉の指し示すところが曖昧になりがちなのは、この言葉に対する解釈や込められたイメージが主観的なものになりやすいことが原因の1つと考えられます。

前に挙げた例であれば、「真心から人や物事に接する」と言う場合、「真心」かどうかは誰がどのように判断しているのか極めて曖昧です

ある人は「真心から人や物事に接している」と思っていても、別の人から見れば「本人は真心と思っているかもしれないが、実は保身のために行動している」と映るかもしれません。

また、「損得を超えた判断」をしているつもりでも、気づかないところで自己弁護の気持ちが働いている可能性もあるでしょう。

つまり、判断基準が人それぞれで主観による部分が大きいのが「誠実」という言葉なのです。

本当の「誠実さ」とは?──「誠実」という概念の、先人たちの見解は。

「誠実」は主観的な概念で、人によって捉え方が違うとしたら、そもそも誠実という言葉を定義すること自体が無意味なのではないか──そう思われた方もいらっしゃることでしょう。

ですが一方で、周囲の人に「誠実でありたい」と想う人は多いのではないでしょうか。

そして、私たちが自身の誠実さを実現するためには、その言葉の曖昧性を紐解いていく必要があるのかもしれません。

この章では、「誠実」の本来の意味について言及した、著名な2人の学者の見解を挙げてみます。




カントの考える「誠実さ」は、「どんな状況でも、正直であること」

哲学者イマヌエル・カント(1724-1804年)は「どんな状況下においても、『嘘をつくこと』は誠実ではない」と断言しています。カントは次のように述べました。

我々の友人を人殺しが追いかけてきて、友人が家の中に逃げ込まなかったかと我々に尋ねた。この人殺しに対して嘘をつくことは罪である。

「われわれの友人を人殺しが追いかけてきて、友人が家の中に逃げ込まなかったかとわれわれに尋ねた。この人殺しに対して嘘をつくことは罪である。」

この例を聴いて、違和感や極端さを感じられた方も少なくないでしょう。
補足すると、ここでカントは「『結果の善悪』ではなく、『行為の善悪』を重視すべきだ」、と主張しているのです。

私たちの日常においても(カントの挙げた例ほど差し迫った事態でなくとも)、自分にとって利害関係のある人や影響力の大きな人を前にしたときに、ついつい相手にとって都合の良い対応を取ってしまうことはないでしょうか。

それはときに「空気を読む」、または「忖度をする」という風に表現されることもありますが、それらは結果の善悪を意識してのものです。

自分が置かれた状況や接する相手によって態度や対応を変えてしまう人は誠実とは言えない——。カントが言わんとしているのはそういうことだと考えられます。




スティーブン・コヴィーの考える「誠実さ」は、「有言実行であること」

ベストセラー書籍「七つの習慣」の著者で知られるスティーブン・R・コヴィー(1932年- アメリカ)は、誠実については次のように述べています。

“誠実さは正直という概念を含んでいるが、それを超えるものである。

「正直」とは真実を語ることである。

つまり、言葉を現実に合わせることである。

それに対して、「誠実さ」とは、現実を言葉に合わせることである。

つまり、約束を守り、期待に応えることなのだ。“

「真実を語ること」のみならず、それを現実に合わせるための「行動」があって、はじめて「誠実」と言える──と、コヴィーは伝えています。

この考えは、「有言実行」という言葉に照らし合わせるとより理解しやすいはずです。

誠実でありたいと思うとき、それは心構えや態度といったレベルで全うされるべきものではありません。

現実を言葉に合わせること、つまり放った言葉が結果として現実になっていなければ、誠実とは言えないわけです。

誠実でありたいといった気持ちの問題ではなく、行動によって示し結果が伴っていなければ、真の意味で「誠実」とは言えないのではないか、と上記の文章は問いかけているのです。




「誠実さ」とは、「行為(行動)」を伴うもの

「誠実」という概念について、カントとコヴィーの2人がどのように論考したのか紹介してきました。

状況・対象によって態度を変えるべきでないとするカントと、行動によって示すことが真の誠実さであるとするコヴィー。それぞれの考えは異なる経路を辿り、至った結論も全く同じではありません。

ただし、2人の「誠実」に対する論考には、どちらも「行為(行動)」を重視していることが読み取れます。

意思や思考は目に見えるものではありませんが、「人の行為・行動」は可視化できます。そのことは、曖昧性のある「誠実さ」をより明るみにしていく為の、一つの有効な方法と言えるのかもしれません。

「誠実さ」がなぜ大切かについて考える

誠実であることは一般的に良いこととされています。
しかし、なぜ誠実であるべきなのかを具体的に説明するとなると、なぜ大切なのか明言するのは難しいと感じる人も少なくないはずです。

ここからは、誠実でいることが私たちにどのような良い結果をもたらすのか、──つまり、「誠実さがなぜ大切なのか」について整理していきましょう。




「誠実に勝れる知恵なし」

「誠実に勝れる知恵なし」

19世紀後半、イギリス首相として、また小説家としても活躍したベンジャミン・ディズレーリは「誠実に勝れる知恵なし」という名言を残しています。

知恵は人間が獲得した尊い能力である反面、「悪知恵」「浅知恵」などと形容されるような好ましくない面も持ち合わせています。

困難な状況を乗り越えようとするとき、私たちは知恵の力を駆使して挑もうとしますが、表面的な利害関係や小手先の技術で乗り越えようとすると、そのための手段は「悪知恵」「浅知恵」に近いものになってしまいがちです。

嘘偽りのない真心をもって対処することは、ときに目の前の問題に対して短期的には解決をもたらさなかったり、一見すると自分にとって不利な行いになったりする場合があります。

しかし、そのような表面的な利害を超えて「真に誠実であるかどうか」を判断基準とすることによって、結果的に物事を良い方向に導くことができたり、自分自身のさらなる成長を促したりすることにつながる場合もあるのです。

つまり、人生において「より良い選択」と「成長」を望もうとするとき、誠実であることが大いに役立てられると言えるのです。




誠実な行為は、周囲と自分に「幸福感」を与えられる

誠実な行為は、周囲の人達だけでなく、結果的に自分自身にも幸福感を与えるといいます。

社会生活、ことに経済活動においては、ある人が利益を得るには他方で損をしている人がいることに目をつぶらなくてはならないと思われている面があります。

このような考え方は「限られた利益をいかに奪い合うか」というゼロサムゲームの発想にもとづいています。

では、誰かを不幸にしながら自分や自分が属する組織が潤っていくことに、長い目で見て幸福を感じる続けることができるでしょうか。

おそらく大半の人は、そのような状態が続けば罪悪感や後ろめたさを感じるでしょう。

誠実に考え、判断するということは、目の前の事柄を損得で捉えるのではなく、長い目で見たとき社会全体の役に立っているかどうかを基準に考えることです。

このような長期的な視座を持ち、目の前の損得に一喜一憂しない姿勢でいることは、結果的に自分自身の心を安定させ幸福感を得やすい状態にすることにもつながります。

誠実な行為は、周囲のみながらず自分自身にも「幸福感」を与えるのです。

まとめ)誠実さは「他者と共により良い人生を歩む」ためのもの

「私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること」——。

「誠実」の定義を言葉通りに実行しようとすると、自己犠牲をも厭わない、まるで聖人君子のような人物を目指さなくてならないように感じるかもしれません。

ただ、今回見てきたように誠実であろうとすることは目の前の利害関係や損得勘定に埋もれてしまわず、少し視野を広げて社会全体へと目を向けることに他なりません。

そのような判断基準を持つことが、自分の行動が社会にとって役立っているという幸福感につながり、ひいては「しっかりとした軸を持つ人物」として周囲からの信頼を得ることにもつながるはずです。

誠実さとは「他者と共により良い人生を歩む」ための判断基準になり得るものと言えるのではないでしょうか。

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