「この人とは相性が良くない・なぜかイライラする」といった悪感情に悩まされた時の、自身への向き合い方

[最終更新日]2019/02/18

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生理的に受け付けない」――よく耳にする言葉です。

みなさんも、一度や二度は口にしたことがあるかもしれません。嫌いな人と一緒にいたくないのは当たり前。他人との摩擦や衝突はストレッサーですから。

とはいえ、職場では、相性が悪いことを理由においそれと離れることはできませんし、イライラするからといって拘わらないでいられるわけでもありません。では、どうすればいいのでしょう?

今回は、他人に対する悪感情にどう向き合うかのヒントを探っていきます。

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イライラ感情が進んだ先に何があるか

「イライラすることが駄目だ」というわけでありませんが、イライラがあるよりない方が良いのは自明の理。
イライラせず、日々心穏やかに、愉しく、豊かに暮らしたいと思うのは、自然な欲求でしょう。イライラが募れば、仕事にもプライベートにも支障を来すことは否めません。

「イライラ」を語義的に解明する

急いでいるときに限って電車が遅延。「ああ、イライラする!」と思ってしまいます。では、この「イライラ」とは一体何でしょうか。

「苛立つ」「苛つく」という動詞にもある「イラ」は、実は草木のトゲのこと。ですから、「イライラ」は刺などが皮膚や粘膜をちくちくと刺激するような不快な感覚を意味しています。

要するに「イライラ」は、ひどい痛みというわけではないけれど、「チクチク」するわけです。

そこには「繰り返し」というニュアンスが含まれ、何よりそれは皮膚感覚だということが示唆されています。そこから転じて、物事が思うようにならず腹立たしいさまを表わすようになりました。

この継続的にじわじわと腹立たしいという状況は、人を疲弊させます。

ここから判るように、「イライラ」は心に焦りを生じさせ、余裕をなくしていきます。余裕がなくなれば、濃やかな心配りができず、雑な対応をしてしまうことも増えるでしょう。

そうすると、円滑なコミュニケーションや丁寧な作業進行は難しくなり、ビジネスシーンにおける成果にも良くない影響を与えてしまいます。
身体的かつ精神的に健やかであるため、この「イライラ」と上手に付き合っていくことが肝心です。

「相性が良くない」「イライラする」……その理由とは

何となく相性が良くない」「なぜだか分からないけどイライラする」――それらの感情は、理由のない苦手意識として世間では半ば容認されていますが、本当に「理由はない」のでしょうか?

友人関係や恋愛関係であれば、「なんか気に食わない」で済ませることもできますが、仕事となればそうは言っていられません。

ですが、イライラするがゆえに相手を正当に評価できなかったり、相手に理不尽な怒りを向けることになったりしては、職場がギスギスすること必至です。
まずは、「生理的」で片付けられがちな「理由」について考えてみましょう。

「生理的」で思考を放棄しない

誰しも、好きなタイプや嫌いなタイプがあります。その大半が自分の単なる好み、習慣の違いや環境によって培われてきた価値観に起因するもの。

これらは互いに話し合い、理解し合い、寄り添いあうことで改善が期待できますが、ただ単に「生理的」としてシャットアウトしてしまっては、「イライラ」を解消することはできなくなってしまいます。

「理由はないけど……」と言い訳する際、それは理由を追及することを避けているだけかもしれません。

──どうしてか?
追及すると都合の悪いことが出てくる、つまり、見たくないことを本能的に知っているからだと考えられます。

──何を見たくないのか?
それは、一言で言ってしまえば「同族嫌悪」な要素なのです。心理学では、相手の性格や言動に自分と似た部分を感じ取ったとき、「なんだか嫌だ」と過剰反応が起こるとされています。

「生理的に苦手」な相手は、自分と共通する何かを持っている人であり、しかも、自分が持っていると認めたくないその部分を、表に出しているということになるのです。

相手への苛立ちに隠された自身の「シャドウ(影)」について

前出の生理的に受け付けにくい「似た部分」を、心理学者のユングは自身の影という意味で「シャドウ」と名付けました。

出典:wikipedia-カール・グスタフ・ユング

ユングは、社会生活の中で表に出している自分=ペルソナ(仮面)に対して、心の奥底にあるもう一人の自分を「シャドウ」とする概念を提唱しました。

誰しも「本当の自分」と「周囲に見せている自分」には大なり小なり隔たりがあり、常識やマナーとして人前には出さない人格や嗜好を抱えています。
そして、自分が我慢や抑圧で秘めている部分を他人に見つけたとき、人は苛立ちや不快感を抱くのです。

「シャドウ」の正体を理解する

分かりやすい言葉に言い換えるなら、シャドウ=裏の顔。

人前には出せない性格や感情、本音やキャラなどです。もう少し詳しく言えば、「自分が認めたくない自身の側面」「長らく否定してきたもの」「受け入れられない現実や価値観」「社会的秩序や規範に反するもの
――これらは、意識して向き合おうとするとストレスを伴うため、無意識のうちに目を背けて生活を送ろうとします。

厄介なことに、このシャドウは自身の内面に向き合わなくても同様の部分を持つ他人の言動によって刺激されることがあるのです。

自らが隠している負の部分を眼前に突きつけられれば、イライラするのは尤もです。認めたくないものだから、それを「生理的に無理」という漠然とした言葉で片付けようとするのは、防衛本能のひとつと言ってもいいでしょう。

しかし、見ないようにしていてもシャドウの存在自体がなくなるものではありません。そして、シャドウを否定することは、余計にシャドウへ活力を与えることにもなるのです。

このシャドウのエネルギー源は、「抑圧」「逃避」「恐怖」など。我々は自らの影に取り込まれないためにも、「影との対決」や「影との対話」が必要とされます。

しかし、影を安易に肯定することもできませんし、隷属するわけにもいきません。仮にアブノーマルな性欲に溺れてしまうと、身の破滅を招いたり、時には犯罪者になったりする危険性があります。

様々な葛藤の中で、善悪を含めて、シャドウの部分を認めてゆくことが求められます。

このシャドウは完全なる悪者というものではなく、「克服すべき課題」と「受け入れるべき生き方や価値観」という二面性を持っています。

自分を映し出した影からは、逃げ切れません。

しかし、言いなりになってもいけない。

シャドウとの対話に要求されるのは、確かな「自我」。自らの内に潜むものに目を向ける勇気、それを受け止める度量を養うためには、まず自分の「影」が何なのかを知るところから始まります。

「シャドウ」から目を背けない

たとえば、いつもオドオドした態度の部下に苛立ちを抑えられないケース。

部下の「人の目を見て話さない、かつ頼りなさそうで卑屈な態度」が癇に障るのは、自分自身が「社交的なキャラ」としてペルソナ(仮面)を被っているからと考えられます。

「誰だって、人前に立って社交的にふるまうのは苦手で、自分も昔はそうだったし、苦労もした。なのに、なぜこの部下は克服のための努力をせずに、楽しようとしているのだろう」

といった思いが頭をもたげ、そういうドロドロとした気持ちを認めたくないとき、相手に対して嫌悪感を覚えてしまうのです。

そこで「イライラ」が募ると、オドオドした態度だけでなく、電話対応での声が聞き取りにくい、メモを取るスピードが遅い、箸の持ち方が汚い、キーボードを打つ音が耳障り……、といったように不快感が拡大されていき、今までは気にならなかったことまで目について仕方がなくなることも。

負のスパイラルに歯止めが利かなくなれば、その部下との関係性が悪化するだけに留まらず、周囲への悪影響にも繋がる恐れがあります。
理不尽に注意したり、不快感を丸出しにして舌打ちをしてしまったり……そんな相手と仕事をしたいと思えませんし、そういう人を近くで見ているのも不愉快なものだからです。

相手を深く知る=自らを深く知る

ここで、ユングの名言をひとつ。

他人に対して苛立ちを感じたときは、自分について知る良い機会である

他人の欠点を直すことは困難ですが、同様の自分の欠点には対策が可能です。自身の欠点から目をそらさず、なぜ相手の行為に自分が煩わしい思いをするのかじっくりと考えてみましょう。

「人生は学校であり、厄介な人は教師である」という言葉もあります。人間関係において悪感情が湧いた場合には、「何かを学び、成長できるチャンスだ!」と思ってみてください。

他人に悪感情を抱いたときの受け止め方

漫画家・弘兼憲史氏は、

ぼくは、不愉快な印象を持った相手ほど気にかける。なぜ不愉快になったのか。相手のどんな言葉や行動が気に障ったのか。同じことを自分もしていないかと考えてみる

と言っています。

また、アメリカの自己啓発作家・メンタルコーチであるロバート・コンクリンの名言にも、「この世は自身をどう考えるかの反映といえます。あなたが他人の中に何を見るか、それはあなたがあなた自身の中に、何を見るかによって決まります」という文句があります。

コンクリンは、「人と人とのあいだに起こる問題のほとんどは、誰しもがまず、他人を変えようとするところから発生する」と指摘。

そのため、「人間関係の問題は、人を避けたり、人を変えようとしても解決しないということです。結局のところ、自分自身を変えることで何とかしなければならないのです」と苦言も呈しています。

他人に対して悪感情が湧いた原因を自分の中に見つけ、自分自身を改善していく術を探す――それこそが、分別ある大人に求められる姿勢なのではないでしょうか。

「生理的に苦手」な人との付き合い方

とはいえ、「苦手」と感じてしまうことは仕方がないもの。学校や趣味の場では、それだけで仲違いしたり喧嘩の理由になったりしたでしょうが、社会性ある大人ともなればスマートに対処したいところです。

適度な距離を置いて付き合うのが心の安寧には最も有効ですが、それが不可能な相手には次のような心がけで働きかけてみましょう。

1)「刺激を与える存在」として活用する

親しい相手からでは得られにくい「緊張感」が、良い刺激になるはずです。性格や考え方は違えども、似た志向や目的を持つ場合も多いため、好敵手となりやすい存在だと受け止めて、自らを高めてくれるカンフル剤だと考えるといいでしょう。

2)あえて積極的に接する

苦手意識が先行して距離を取ってしまうところを堪えて、深く話をしてみてください。先入観をなくして向き合えば、違った一面が見えてくるかもしれません。そこで良いところを探し、意識的に褒めてみましょう。

一見短所のように感じる部分でも、「こういうときにはプラスに働くかも」と表裏一体な長所として捉え直してみると、さらに効果的です。

3)思い切って割り切る

できるだけ見方を変えて努力してみても、どうしても苦手意識が消えない場合は、逃げたり突き放したりせず、割り切ることも肝要です。必要以上に感情を交えることなく、仕事を円滑に進めることを第一に接するに留めます。

まとめ 苦手意識に振り回されないにしよう!

特定の誰かに対して「何となくかみ合わない」と感じたとき、すぐに「無理」「苦手」と決めつけてしまわず、一旦は「もしかして、自分と似ているからなのかも?」と考えてみてください。

そうすることで、少し冷静かつ客観的に見られるようになり、意識も変わりやすくなります。最終的に相容れることができなくても、似たもの同士として親近感が湧くかもしれません。
イライラを呑み込み接することで不要なストレスを抱えることのないよう努めましょう。

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