劣等感とコンプレックスは違う? 部下や自身の「こだわり」と「所属意識」を見つめ直す
[最終更新日]2023/11/06
自分の存在において、仕事について、何かしらの「劣等感」や「コンプレックス」を感じたことがある人は少なくないはず。常に自信満々、自分のことが大好きでいられるのは、なかなか難しいことだからです。
我々の日常会話において、「コンプレックス」はしばしば「劣等感」と訳されることがあります。しかし、両者は違った意味を有しているため、本来イコールとして使うのは間違っているのです。
では、どう捉えるのが正しいのでしょうか。今回は、職場で抱きやすい「劣等感」と「コンプレックス」について見ていきます。
Index
目次
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「劣等感」と「コンプレックス」の違い
「劣等感」とは
「劣等感」はその字に表されるように、自分が他者よりも劣っているという感情のこと。実際にどうなのかという事実ではなく、あくまでも感情の上での問題です。
己を無価値だと受け止めていたり、生きていく自信がないと悩んだり。これらのネガティブな感情を、英語では「inferiority feeling」といいます。
劣等感をコンプレックスと言い換えている場合、それは「inferiority complex」のこと。complexとは、直訳すれば「複合観念」であり、通常の劣等感(inferiority feeling)と区別するために「劣等コンプレックス」と表現されます。
「コンプレックス」とは
「コンプレックス」は怒りや悲しみなどの強い感情、体験、思考などが無意識的に結びついている状態のこと。
「コンプレックス」を無意識の世界における神話的要素として捉えていたフロイトに対して、ユングは人生の中で起こる様々な出来事を人間の心がどう受け止めるかという点に着目しました。複雑な心の絡みの総体を、「コンプレックス」と名付けたのです。
前出の「劣等コンプレックス」という言葉を初めて用いたアルフレッド・アドラーは、ユングと同じくフロイトの弟子でしたが、後に師を批判して独自の心理学を打ち立てた人物。
彼は
- アドラー
-
「劣等コンプレックスとは、劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げ出すことを指す。現在の問題を人のせいにして、努力を放棄し、課題から逃げること。それが劣等コンプレックスである」
と説いています。
さて、皆さんの中にあるのは「劣等感」ですか? それとも、「コンプレックス」ですか?
劣等感の根底にある「所属感の欠如」
心理学や医学と切っても切り離せない劣等感という意識。新フロイト学派(ネオフロイディアン)の代表者のひとりであり、精神分析論における数々の名著を持つ精神医学者カレン・ホーナイは、「劣等感は所属感の欠如である」と指摘しました。
例えば、家族全員が何かしらの楽器を演奏できる中で、自分だけが楽譜も読めず何にも弾けない場合に感じる「孤独の恐怖」が所属感の欠如になります。つまり、「劣等感」の正体は、悲しさや辛さ、怒り、歯がゆさ、自己嫌悪などの感情というわけです。
「所属感の欠如」とは
例えば、学校のクラスで他の全生徒が解ける問題が自分だけ解らなかった場合、辛かったり、悲しかったりするでしょう。この感情こそが「劣等感」であり、それは「自分だけが違う」という気持ちから発生する「所属感の欠如」に他なりません。
この「所属感の欠如」は言い換えれば、孤独感・孤立感から来る「居場所のなさ」。「私は、○○の人間だ」という意識さえあれば、深刻な劣等感に悩まされないで済むということなのです。
これは、アドラー研究所所長であり子育て研究家でもあるルドルフ・ドライクルスの「子供は励ましなしに所属感を得ることはない」という持論にも裏付けられ、励まされて育った子は家に対して帰属意識を持ち、深刻な劣等感を抱かないといわれています。
自らの「劣等感」と向き合う
身近な例で考えてみましょう。現在の暮らしに不平不満を抱く人が、「もっといい学歴があれば、もっといい生活ができたのに」と学歴のせいにばかりしているとします。
これはよくよく考えてみれば、おかしい話です。なぜなら、立派な学歴を持っていなくても社会で成功・活躍している人はたくさんいるからです。反対に、せっかくの学歴を生かせず、たいした生活が出来ていない人も少なくありません。
また、学歴の高低に関係なく、世間から見ていい生活をしていなくても、それに劣等感を抱いていない人ももちろんいます。要は、自分自身の努力の程度と現状をどう捉えているか、という意識の問題なのです。
劣等コンプレックスは、ただ単に他人より劣っている感情だけではなく、その劣っていることに悲しみや怒りなどが無意識に結びついている状態。結局は、劣等感を持っている自分を認めながら一所懸命に日々に向き合っている人の方が、そこから抜け出せない人よりも「いい人生」を送っているのかもしれません。
- アドラー
-
「できない自分を責めている限り、永遠に幸せにはなれないだろう。今の自分を認める勇気を持つ者だけが、本当に強い人間になれるのだ」
というアドラーの言葉にも、それは如実に表れています。
コンプレックスの根底にある「無意識下の固執」
普段、抑圧され意識化されていない「もの」。それが何らかの拍子に意識に現れようとすると、強い感情やこだわりといったものが吹き出します。
カッとなったり、訳が分からなくなったり、猛烈に否定したくなったり。特定の何かに対して、スムーズにいかなくなる。
もしくは、一見スムーズなようでいて、何かに固執している傾向が顕在化したり、穏やかさの奥に激情が見え隠れしたりする――。コンプレックスの根底には、無意識のうちに積もり積もった固執やこだわりがあるのです。
「無意識下の固執」とは
貴方が、強い感情を伴った何らかの「それ」を体験したとしましょう。「それ」が無事に処理され、滞りなく流されてゆけば問題はありません。
ですが、処理が上手くいかないと、「それ」は心の中に残されます。心の底に、ゆっくりと沈んでいきます。これがやがて、意識活動に影響を与えるようになるのです。
それらは、通常は意識されません。ですが、「引っかかり」として確かに存在しています。その「引っかかり」のあるものが眼前に提示されたとき、いつもとは違った感情に襲われます。
イラッとしたり、ぼんやりしたり、混乱したり、無視してしまったり。なんだかよく判らない、上手く説明できない感情が渦巻きます。
目の前の何かではなく、心の奥底にある何か。これらを踏まえて、ユング心理学ではコンプレックスを「無意識内に存在して、何らかの感情によって結ばれている心的内容の集まり」と表現しています。
感情によって結ばれた「まとまり」や「塊」には、「核」があります。言い換えれば、「引っかかり」の原点です。その原点こそ、コンプレックスの存在を意味しているのです。
自らの「コンプレックス」と向き合う
コンプレックスの困った点は、自我の統制を乱すこと。コントロールできない感情に悩まされたり、自分でも奇妙だと思う態度になったり。
意識を乱す感情は、それそのものが悪いわけではく、核によって目の前のものに感じている以上の感情を抱くのが問題なのです。あるいは、目の前のものと別のものが混同される問題が生じることもあります。
この「核」=コンプレックスを解消させるには、その核となるものを外に出す必要があります。外に出すというのは、「それ」を何らかの形で表現すること。
表現するためには、ある程度「それ」に気づかなければいけません。例えば、辛い経験から得た「核」を口や態度に出すのはタブーだと思い込んで我慢していた人が、カウンセリングという手段を通して想いを言葉にして吐き出す。これが、表現するということです。
その道程は決して容易ではありませんが、中に溜まっている「言うに言えなかった、本当のこと」「認識するのが憚られた、本当のこと」を自覚し、外に流し出す作業もまた、時として必要だと知っておいてください。
部下が感じる劣等感やコンプレックスに気づいたら
誰でも少なからず、劣等感やコンプレックスを抱いて生きているものです。自分がそうであるなら、他者ももちろんそうでしょう。
それらと上手く付き合えないと、感情をコントロールできなくなるだけでなく、共同体の中で良好な人間関係を構築できずに困ったことになりがちです。
そうならないために、部下や同僚が劣等感やコンプレックスを感じていることに気づいたら、どうすればいいでしょうか?
部下の「劣等感」への対処法
会社のプロジェクトで同期がリーダーに選ばれ、その部下として配置されたAさん。自分は同期のリーダーよりも実力があるはずなのに、誰も認めてくれない。
果たして、自分のやり方が間違っていたのだろうか。プロジェクトで頑張っても成果がリーダーの手柄だと思うと、やる気が起きない……。
こんなとき、アドラー心理学に即して考えると、まず大切なのは【自己受容】です。Aさんがリーダーに選ばれなかったのは、実力不足だからではなく、今回のプロジェクトが求めている適正が異なる分野だったから。
AさんはAさんに出来ることを全力でやればいいのです。
次に、プロジェクトの成功=自分を含む会社の成功だという【共同体感覚】。プロジェクトが実現すれば会社への貢献が叶い、その中で自身も幸せを享受できるという考え方です。
そして、自分と異なる価値観を認めることで、その違いを長所として受け止める【他者信頼】。仲間である同期リーダーを全力で手伝うことに躊躇いを感じる必要はないのです。
つまりは、Aさんが「自身を認め、自分を好きになること」が肝心。「劣等感の扱い方」を具体的に伝えて、濃やかなフォローを心がけましょう。
部下の「コンプレックス」への対処法
前記にあるように、コンプレックスへのアプローチとして最も重要なのは、その「核」となるものを自らが認め、向き合い、外へと流し出すことです。その核は、根深いものかもしれません。
ですが、誰かがただ聞いてくれるだけで、ただ話すだけで核心へと近づくことができるのもまた事実。一緒に働く上で、その部下の存在が大切であればあるほど、知らぬ振りはできません。
責めたり、問い質したりするのではなく、まずは耳を傾けてください。
どんな些細なことでも、吐き出すうちに見えてくるものがあります。
背負い込んでいる何かを言葉にすることで手放し、素の自分を見つめること。そうして掴んだ「軸」を育んでいくことこそ、成長に繋がるはずです。
いくつになろうが、どんな人生経験を経ていようが、「当人の意志によって性格は変えられる」と、アドラーは言います。部下の変化の一歩を後押しできるような関係性が築ければ、それはとても素敵なことではないでしょうか。
自身も「共同体」の一端を担っているということ
想像してみてください。自己の利益のみを求め、他者から得ることばかり考え、相手から搾取することを良しとする……そんな相手と仕事をすることを。
ビジネスにおいて、ともに働く人たちに欠かせないのは「共同体」への帰属意識と共感。人が得る幸福感はこれらと密接に関係しているのです。
自分が全体の一部であるこという感覚や、全体とともに生きていることへの実感を大切にしながら、私的論理(自分の利益を第一に考える生き方)にならないように気を付けたいものです。
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