「本当の自分」なんて存在するもの? 「自分探し」に疲れたあなたに知ってほしい4つの視点

[最終更新日]2022/12/15

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本当のあなたってどんな人?」――そう問われて、皆さんは即答できますか?

我々の人格や特性は、身を置く環境や周囲の人々との作用から変化していくものです。

「本当の自分」や「自分探し」という書籍や研修でお馴染みのテーマは、悶々と自問自答すればするほど、自分の内面へと思考が進み、結果として「自身の内面に押し留められたままになる」危険性があります。

また、「自分はこうだ」といった決めつけが、結果として他人との関わり合いや交わりから得られる「自己認識」への感度を低減させてしまうこともあるでしょう。

変化の激しいいまの時代、一旦「本当の自分」への探求をやめて、「世の中(周囲の人々)とどう関わっていくべきか」という問いと向き合う必要があるのかもしれません。

「自分探し」に固執せず、まずは「自分という存在は、柔軟に変わっていく・変えていくことができる」と捉えていた方が、生きやすいのではないでしょうか。

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目次

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過去の経験だけで「これが本当の自分」だと言い切ることはできない

人は多様な経験を経て、それを「記憶」として積み重ねていきます。
それらの記憶は自分らしさを形成する手助けをしてくれます。

「自分はどんな人間か」という自己理解のあり方に関して、「自分はこれまでの経験の蓄積で形成されている」といった考え方をされる方も多いことでしょう。

一方で、「『自分』という認識は、その時どきの感覚・感情の寄せ集めで形成される」という考え方──
いわば、自分とは「様々な感情・感覚が、繋がったり入れ替わったり、ときに離れたりを繰り返している最中にいる」存在だと説明することもできるのではないでしょうか。

つまり、「本当の自分」へのアプローチは、「これまでの経験を振り返る」や「心の内面を探求する」といった手法「だけ」ではないのです。

なぜなら、「自分」は常に作られていて、作り変えられているからです。

そして、過去の経験だけで「本当の自分」を語ることはできないはずです。言ってしまえば過去の経験とは、あくまでも自分を形作る一要素に過ぎないのですから。

「自我」とは何か?

「自分探し」のテーマで検討を進める際、良く登場するのが「われ考える、ゆえに、われあり」というデカルトの提言でしょう。

この言葉は、「世の中は不確かなものであふれているが、そのことを考える自分自身は確固として存在しうる」と解釈されることが一般的であり、後世の人々が持つ「自我」の概念にも多大な影響を与えています。

ですが、その「自我」自体が果たして「確固なもの」として私たちが認識できているかというと、やや疑問が残ります。もし私たちが自我をまごうことなく認識できていたとしたら、そもそも「自分探し」をする必要もなくなるでしょう。

そこで、ここからはデカルト以降の有識者たちが提唱した理論や考えを頼りに、「自我」について思考を更に進めていくことにしましょう。

「自己とは知覚の集合である」ヒューム

イギリスの哲学者ヒュームは、「自我そのものに対する観念は存在せず、それは単なる『知覚の集合』だ」と考えました。

デイヴィッド・ヒューム。DavidHume(1711.4.26-1776.8.25)。イギリス・スコットランド・エディンバラ出身の哲学者。英語圏の経験論を代表する哲学者であり、歴史学者、政治哲学者でもあった。生涯独身を貫いた。

参照:wikipedia

「知覚」とは、私たちが外界から受けた刺激を感じ取り、それを認識するまでの過程すべてを指す言葉です。例えば、「暑い」や「寒い」といった感覚もそうですし、その他「楽しい」や「苦しい」であったり、「愛しい」「憎い」といった感情も知覚に当てはまります。

ヒュームは、「人の心は劇場のようなものであり、様々な知覚が次々と産まれては去り、消えてはまた浮かびながら、際限なく様々な場面(シーン)を繰り広げている」といいました。

さて、そのような観点からなぜヒュームは自我そのものの観念を否定したのかというと、上記でいう人の心の「様々な知覚の往来」は、いわば「複合的な観念」であり、単一の観念では形成されないと考えたからです。

対して私たちは「自我」を捉えようとすると、どうしてもそれを「単一の観念」として受け止めてしまいがちです。
つまり、「自我を探求しよう」という試みは、「ありもしない不変的な自分像」を打ち立ててしまうことにも繋がる危険性をはらんでいる──そうヒュームは言いたかったのではないでしょうか。

世の中は瞬間ごとに変わっていくものです。人もまたしかりでしょう。私たちは自己をより良く認識していく際には、その変化にもっと目を向けていく必要があるのかもしれません。

「自分の知る人の数と、同じだけの『自我』がある」ウィリアム・ジェームズ

自我の単一性に対する見解について、ヒュームとはまた違った観点で批判しているのがアメリカの心理学者・哲学者のウィリアム・ジェームズです。

ウィリアム・ジェームズは人の「行動」に関する研究に重点を置き、多くの名言や格言を遺しています。

ウィリアム・ジェームズ。William James(1842.1.11-1910.8.26)。アメリカ合衆国の哲学者・心理学者。著作は哲学のみならず心理学や生理学など多岐に及ぶ。心理学の父である。

参照:wikipedia

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。運命が変われば人生が変わる。」という、人生は自分次第でいくらでも変えられるという考えを示した彼の言葉について、皆さんも一度はお聞きになったことがあるのではないでしょうか。

そのウィリアム・ジェームズが自我(自己)に関して指摘したのが、「自分を認めてくれる人の数と同じだけの社会的自己を持つ」という考えです。
つまり、人は普段接しあう相手の数だけ自我を持っている──ということですね。

例えば会社内では部下から恐れられる厳しい上司が、家に帰って家族を前にしたときは優しいお父さんで、年に数回会う地元仲間の前ではいつも陽気でたまに羽目を外したり…といった多面性を持っていたりすることは、決して珍しいことではないでしょう。

この「相手の数だけ自己がある」という考えは、「自我」は決して自分自身で創りあげていくものではなく、「関わる他者との共創によって成り立つ」ことも示していると言えそうです。

「自分探し」に疲れたときに、意識したいポイント4点

「自分探し」に疲れた時は……。・目の前の、興味のある事に没頭する・周囲の人を知り、認識する・パターン化された考え・行動を変える・「どう変わりたいか」を考え行動する。自分自身の存在を認めてあげることで、私たちは毎日を活き活きと過ごすことができます。

ここまでの内容として、「過去の経験だけで、本当の自分を語ることはできない」という問題提起から、自我に関する考え方としてヒュームの「知覚の束」と、ウィリアム・ジェームズの「社会的自己」の観念を紹介しました。

もしかしたらヒュームの言うとおり、「自我」という観念自体は非常にあやふやなもので、「自分探し」はするだけであまり意味のないものかもしれません。

ですが一方で、私たちは自分自身を認識してはじめて、日々の生活をつつがなく送ることができます。
そして、その「自身の存在」をより強く感じられることで、毎日をより活き活きと過ごすことにも繋げられることもあるでしょう。

では、私たちが「自身の存在感」を感じられるために、どんな取り組みがあると良いか──。
その際におすすめしたい取り組み4点を、以下にご紹介します。

目の前にあるもの、興味のあることに打ち込んでみる

「自身の存在感」は、自身の内面に向かって探求するよりも、いま目の前にある物や人、興味を持てることに目を向けているときのほうが、かえって感じられるものです。

なぜなら、そこには新しい気づきやご縁、可能性や希望があるからです。
その際に得られるポジティブな感情(知覚)は、まさに「自分自身のもの」。それら感情・知覚への感度を高めていくだけでも、世界はきっといままでと違った様相を呈することでしょう。

周囲の人たちをより深く知り、認識していく

ウィリアム・ジェームズの「社会的自己」で触れたように、「自分」とは周囲の人たちあってこそのものです。

言い換えれば、「自分ひとり」というものは存在せず、あるのは「自分」を含めた世界全体。

そして、「他者に目を向ける」ということは、世界に目を向けることに繋がります。

フランス文学者であり、社会学や心理学にまつわる多くの著書を持つ内田樹氏は、「やるべきこと(当為)」「やりたいこと(願望)」「やれること(可能)」のうち、動詞に「可能」の助動詞をつけて話すのが「大人」だと言っています。

「大人」というのは、自分が何ものであるか、自分がこれからどこに向かって進んでゆくのか、何を果たすことになるのか、ということを「自分の発意」や「独語」のかたちではなく、「他人からの要請」に基づいて「応答」というかたちで言葉にする人のことです。

「自分が何ものであるか」を見定めるには、他者との関係が必要不可欠で、必ず他者を含めた語りをするのが「大人」だ──ということです。

逆説的ではありますが、他者への関心を深めれば深めるほど、自分自身を深く知ることに繋がっていくということなのでしょう。

パターン化されている事象や思考行動を見出し、変化を探求する

どうして自分はいつもこれをするのか
なぜA氏とのコミュニケーションはいつも上手くいかないのか

──など、パターン化されている事象についてその背景や真因を探求した上で「最終的にどうなっていたいのか」という目的・目標に向かって思考を進めていくことは、「自分」を作り上げていく過程において欠かせない重要な工程のひとつです。

パターン化=習慣化されていることには理由があるもの。
その理由が分かれば、パターン化を防ぐことが出来、自ずと変化がもたらされます。

自分の稼働領域を広げるためには、「変化」の常態化は必須です。

同じ行動を繰り返す方がミスや失敗が減って安心や癒しを得られるかもしれません。

ですが、たまには新しい行動パターンに挑戦してみて、未知の世界が案外身近なところにあると知ることで、自身の存在自体も感じやすくなることでしょう。

「どうありたいか」「どう変わるか」に焦点を充てて行動する

見据えるべきは、「これまでの私」ではなく、「これからの未来」です。

職場の人間だけに留まらず、家族や恋人、友人、恩師、趣味の仲間たち……との交流のなかで、自分は一体どうありたいのか。

どんな関係性を築き、どんな人間だと認識されるとうれしいのか。

各コミュニティでの立ち位置やキャラクターは決して同じではなく、出会って関わっていく人たちからの刺激や影響で、人はいくらでも変わっていくことができるものです。

「理想の自分」に向けて、感じて、考えて、行動する。
大切なのは、その積み重ねです。

それこそが、「自分」の定義づけへと繋がっていきます。「自分」とは、最終的に判るもの。それで充分だ、と承知しておくのがいいでしょう。

まとめ 「分人」という捉え方で「自分」を見詰める

作家の平野啓一郎氏が提唱する「分人主義」。ひとりの人間には様々な顔があり、家族といるときの自分、恋人と一緒のときの自分、友達に囲まれている自分、大好きなアイドルのライブに行っている自分……

そういった様々な人たちによって引き出される「分人」の集合体こそが「自分」であるという考え方です。

「本当の自分」なんてものに惑わされず、抽象的かつ漠然とした「自分らしさ」を考えるのもやめて、周囲の人々との関わりを通して得る新たな自分との出会いをビジネスシーンで活かしていきたいものです。




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